10数年前の話
私が中学生のときの集中力はすさまじく、計算や漢字の書き取りさせようものならものすごい速かった。英語が好きだったから、誰よりも勉強した。
地元の不良多発バカ中学だった。それなりに頭の良い人もいたけど、私の英語や外国に関する情熱は誰にも敵わなかったと確信できる。
って過去の事持ち出してもね。意味ないよ過去の栄光。
塾は好きな場所だった。講師は私の夢を応援してくれたし、少人数でわかりやすい教え方だったから。講師の話も面白くて、いつも話がそれるのが楽しみだった。
塾が嫌だな、面倒くさいなと思ったのは3年間通って1回だけ。受験中のとある日だった。
少人数制なので、あらゆるレベルの生徒が一つの部屋に混在していた。
あゆみちゃんという子がいた。
その子は暗くて、勉強が出来なかった。勉強する努力もしなかった。
私は自分が生まれながらの馬鹿だと幼いながら分かっていたので、人一倍以上は努力した。だから、努力しない人が理解できなかった。
私はあゆみちゃんと話した記憶があまりない。
席もすごく離れていたし、違う中学だったから話す理由もない。
避けていた相手だったけど、心の奥底では何か共通するものがあると感じた。
私はあゆみちゃんみたいな人間に戻ることを恐れていた。
ほんとは私だって暗くて、頭もそんなに良くない人だから。
高校に入って、地頭が良い人をたくさん見てこれは私はいかに馬鹿かばれてしまうと、必死になって勉強した。そんなことしたら友達が離れていった。
なんてことしたんだろう、私の愚かな恐れのせいで。誰も私の成績なんて興味ないのに。大事なことは大学に合格することなのに。
社会に出て、私は完全にあゆみちゃんになった。
何をどう努力するのかも分からなくなった。勉強じゃないから。
コミュニケーションが出来ない=仕事ができない、せっかく良い同僚に恵まれたのにも関わらず自ら関係を壊す、要領悪い、人に聞けない、頼れない、すぐ顔に出る
これADDがもたらしたものなのか。
それだけじゃないだろう。ADDのせいにしちゃだめだ。
どうにかして今定職がある。奇跡的なことだ。今までの経験とあっちがもとめていた条件がうまく重なっただけ。
仕事は出来ないが、希少価値の高い経験を持つ人だから重宝されているだけ。
そう改めて思ったら、謙虚にならなきゃなと思う。
自分はそんなに素晴らしい人間とは思えないから、他の人のミスで安心できる。
なんだろうね、他人の失敗を世界中に言いたいかのように騒ぐ某国出身の奴。
情けない。「悪いの誰?」「あなたがやったよね」すぐ聞く。うざい。
なぜミスのあら捜しがしたいのだろう。
私の中のあゆみちゃんはまだ活動中。でも抑え込まなきゃ。
少しでも役に立つ人間になりたいんだ。