愚痴になってきた日記
これで中東で迎える4度目の夏も後半戦。
まだ気温は40度以上もある。
アブダビに行く話が少し持ち上がったけど、期待はしちゃいけない。
私はここでやらねばならないことがある。人生はそんなに甘くない。
アブダビで普通に専業主婦って辛い。友達もいないし。つまらない所だし。
やろうと思って買った水彩画セット、まだ何も手をつけてない。
また気まぐれ。衝動的。これもADDの癖か。
今日は同僚のお祝いでケンタッキーとピザがお昼ごはんでそれでもっていきなりホテルの営業さんがやってきて濃厚なチョコレートケーキをくれた。
私の腸は敏感だか知らないけど、悪い油を使った料理を食べるとすぐにガスが発生して、しまいには便意を催す。体がそういうものを早く排出したいと必死なんだ。
私はあの国の人の風習についていけない。大体どこのチキンでも同じなんだから、それごときに行列つくるなんて馬鹿らしい。
テーブルがプラスチックの容器やら何やら山のように積もったなかでもそもそと食べる食事なんて美味しいわけないだろ。
自分が食べることを優先して、あとはどうでもいいなんてよくない。
ホームレスでもないくせに食い意地を張ることはみっともないと思う。でも貧乏な国の人はそれが分からない。
奪い合って、自分だけがなんとかして取り分を多いほうにして・・
恥ずかしい。
私、別にお昼はひとりでもいい。なんで話がわかんないのにそこにいなきゃいけないのかわからない。
たまに一人でどっか行って食べてると、「私達と一緒に食べるの嫌なの?」と言ってくる。
めんどくさい。
私の家族が食事をするとき会話が何もない。
家族そろっての食事が苦痛だった。
普通は食卓をかこんで団らんのひと時なのだけど、父親のひどいテーブルマナー、母親の葬式でも出てるような暗い表情と時折祖母をチェックするしぐさ、姉の父親に対するものすごい嫌悪感、そんなのばっかりで耐えきれなかった。
団らんのひと時が食事である必要はない。
私は夫とレストランに行かない限り家ではめったに食事を一緒にとらない。
私が熱いものは熱いうちに食べるけど夫はき極度の猫舌でゲームに夢中だから遅れたタイミングで食べる。
なぜ私が熱いものは熱いうちにとこだわるか。
全員そろって「いただきます」をしなければならない小中学校の悪しき習慣にたいする反抗だ。
だらだら遅くきた悪ガキをわざわざ待ってまでなぜ一緒に食べなきゃならないのか。
目の前でシチューやスープが冷えていくのになぜ。
みんなが待っていようと食べていようとあいつらは気にも留めていないし、クラス全員を待たしていた責任すら感じないだろう。
意味もなくまずくした食べ物を食べるなんてほんとに人生の無駄。
だから、私は生ぬるいものを食べるととてもイライラする。
こう思いついたものを書き連ねていると、なんだかすっきりしてきた。
やる気
帰宅してから全く料理をする気になれない。
お皿も洗わない。
ただ食べている。結構な量を。
この一人でいる時間つらい。
こういうのは久しぶりかも。どこまで家事のやる気をなくすんだろう、私。
気分の波も激しい。さっきまで神様に感謝していたというのに。
今は暗い。
こんな日もあった
ADDの症状が出まくった一日。すぐ忘れるし、肝心なところに注意が向かないし、脱線するし、何一つ良くできてないし、不安になりまくり。
今日は朝から言葉がすらすらと出てきてまとまった文章を口に出せると思って嬉しかったのに。
「ADDだからこれが出来ない、これをあきらめる」じゃなくて、「ADDだからこういう所に気を付けよう、言い訳なんて絶対にしたくない」と張りつめていた。張りつめすぎるのは私の特技。
すると、そんなに頑張ってどうするの?もちょっと楽にしたら?という考えも浮かぶ。
不安になると、関係ない独り言が始まる。
人は、ストレスがたまると体にそんなに良くないものを食べるという自傷行為に走るという。
私もジャンクフードを食べたくなったが、お金を使うのはよくない。
帰宅したら唐辛子の粉とバルサミコ酢をつかった炒め物などを作った。一心不乱に豆を茹で、鶏を切ってお弁当も完成させた、
マイナスな気分から逃げるために、料理をした。
そういう時って、やけにてきぱきするし、色々なアイデアが浮かぶ。
逃げているのに。
一匹狼
ドバイに住んでる人たちのブログ、なんだか駐在妻が多くてリア充炸裂。
リア充ってもう死語なのかもしれないけど便利な言葉なので使う。
素敵なカフェみつけましたとか、暑さにびっくり、ラマダンどうしよう、イスラム教ってテロリストばっかじゃなくて優しい人ね、渋滞ひどいわ、やっぱり日本の食事が一番!英語わかんなーいとか。自分の生活環境を日本に住んでる日本人に教えたい素晴らしい気持ち、分かるよ。
はい、ヒガミ&ネタミのスペシャルユニット登場。
色々と余裕がある人はいいよね。
私にはそんなの書けない。リア充記事はフェイスブックだけでいい。それで自慢していいねを集めりゃいい。
ドバイを知りたい人は、もう色んな人が書いてるものを読めばいいし私の出る幕ではない。
みんなに知らせるほどたくさんどっかに行けたり買えたりできるお金もない。
と書いてるとどんどん落ち込んでいく。
良いな駐妻。
私だって優雅にベビーカー押して、カフェでママ友会やりたかったよ。
そういうママ達を私はバイト先の窓から見てたよ。
こういう気持ち、ほんとにきたないよな。
私は一匹狼でいい。あのママ達と住む世界は違うけど、私が経験してきたことは誰にもまねできないんだから。
運命など
身近にいる、とある偉い方は運命は最初から決まっていると言った。
でも、私はそれは最初からではなく、ある一定の期間とか途切れ途切れに決まっていると思う。フローチャートのように、起こる事は決められているけど、それに対しYes Noとかどう判断するかは自分で、それにより色々変わっていくものだと。
ないだろうか、何かを頑なに決心したことが、思わぬことに結びついていたこと。
私にはこんな例がある。
1、衝動的に告り失恋し、学生時代から行きたかったアイルランドにほぼ衝動的に行くことを決める。で、どうしても島に行きたいと出発前からなぜか強く思っていた。そしてそこで現在に至るまでに関わる繋がる重要な出会いがあった。
2、昼休憩時間、滅多に行かないある場所に行ってあのお店で食べたいと2日前から強く思っていた。そしたらそこで見知らぬ人から声をかけられ私と同じような状況にいる人を紹介してもらった。これは今週起こった。
他にもあるけど思い出すのに時間かかりそうなのでやめとく。
書いてるときに思い浮かんだけど、ひょっとしてこれは引き寄せの法則なのでは。
とある偉い方は遺伝的にこの年齢になったらもう寿命だ、と言っていたけど、それって結局自分から招いているのでは?
そうしたら嫌だ。とある偉い方にはそんな簡単に亡くなってほしくない。